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中共史上3回目の「歴史決議」の本質は何か


毛沢東路線に基づく「世界革命宣言」としての歴史決議


[2021.11.17]




史上3回目の「歴史決議」を採択した中国共産党第19期中央委員会第6回全体会議
PHOTO(C)NHK


中国共産党史上3回目の「歴史決議」


 11月11日、中国共産党第19期中央委員会第6回全体会議(6中全会)は、「党の100年にわたる奮闘の重大な成果と歴史経験に関する決議」(=歴史決議)を審議・採択した。

 中国共産党における「歴史決議」は3回目である。

 1回目は1945年で、中国本土派の毛沢東とソ連派の王明との党内権力闘争で毛沢東が勝利し、かつての共産党指導者達の過ちが批判され、「若干の歴史問題に関する決議」が党で採択された。

 2回目は1981年で、改革開放路線の鄧小平と文革継続路線の華国鋒との権力闘争で鄧小平が勝利し、文化大革命を「完全な誤り」と総括して毛沢東の責任も認める「建党以来の若干の歴史問題に関する決議」が採択された。

 いずれの歴史決議も、党の路線闘争とそれに伴う権力闘争に決着をつけた決議であり、闘争の勝利者による独裁権力確立の契機となった。

 従って、今回3回目となる歴史決議によって、習近平の政敵である江沢民や胡錦涛が批判され、習近平独裁が確立されるものと世界中のメディアが予想していた。

 しかしながら、今回の歴史決議は、事前予想に反して前政権に対する批判の類は皆無であり、党内権力闘争の色彩も無く、ひたすら中国共産党の過去100年間の歴史が偉大であったと礼賛する内容であった。

 先ず今回の歴史決議は、これまでの中国共産党100年史を、大きく6つの段階に分けて記述・総括した。

 第1段階は、1921年の中国共産党結党から1949年の中華人民共和国建国までの歴史で、歴史決議は、「毛沢東同志を主要代表とする中国共産党」の業績を大絶賛した。

 第2段階は、建国から1978年末の共産党第11期中央委員会3中全会までの29年間で、この歴史段階を「社会主義革命と建設の時代」と位置づけ、歴史決議は、「毛沢東同志を代表とする中国共産党」による「国家建設」の業績として賞賛した。ただし、この期間における「大躍進政策」や「文化大革命」の失敗については一切触れられていない。

 第3段階は、1978年の共産党第11期中央委員会3中全会から1989年夏の共産党第13期中央委員会4全会までの期間で、歴史決議は鄧小平の改革開放路線の成功を高く評価し、鄧小平の歴史的業績に賛辞を捧げた。

 歴史決議では、「改革開放と社会主義現代化の新たな時期に、党の主要な任務は、中国で社会主義を建設する正しい道を引き続き模索し、社会的生産力を解放し発展させ、人民を貧困から抜け出させ、出来るだけ早く豊かにして、中華民族の偉大な復興を実現する為に、新たな活力に満ちた体制的保証と急速に発展する物質的条件を与えることだった」と高く評価されている。なお、「天安門事件」については一切触れられていない。

 第4段階は、江沢民が党総書記に任命された1989年の共産党第13期中央委員会4全会から2002年までの江沢民政権である。歴史決議は、「社会主義市場経済」の構築や「改革開放の新しい局面開拓」における江沢民と江沢民政権の業績を評価した。

 歴史決議では、「江沢民同志を主要代表とする中国共産党員は、全国の各民族人民を団結させ導き、党の基本理論、基本路線を堅持し、社会主義とは何か、社会主義をどう建設するか、どのような党を建設し、党をどのように建設するかについての認識を深め、『三つの代表』の重要思想をまとめあげた。国内外の情勢が非常に複雑で、世界の社会主義に重大な曲折が生じた厳しい試練の中で、中国の特色ある社会主義を守った」と評価されている。

 続いて第5段階は、胡錦涛が新しい党総書記として登場した2002年秋の共産党第16回全国大会から2012年までの胡錦涛政権である。歴史決議は、「胡錦涛同志を主要代表とする中国共産党」による「協調社会建設」などにおける胡錦涛政権とその業績を称えた。

 歴史決議では、「胡錦濤同志を主要な代表とする中国共産党員は全党・全国各民族人民を団結させ導き、小康社会の全面建設のプロセスの中で実践革新、理論革新、制度革新を推進した。新たな情勢の下でどのような発展を実現するのか、どのように発展するかという重大な問題を深く掘り下げて認識し、回答し、科学的発展観を作り上げた」と評価されている。

 上述の5つの段階を総括・評価した上で、歴史決議は最後の第6段階として、2012年秋の中国共産党第18回全国大会で成立した習近平政権時代を高く評価する。ここではかなり長大な分量で、「習近平同志を主要代表とする中国共産党」が、政治・経済・外交のあらゆる面で勝ち取った勝利と成果を絶賛した。

 今回の「歴史決議」において重要な事は、習近平が毛沢東や鄧小平と並んだというよりは、むしろ江沢民や胡錦涛らとほぼ同格の位置付けに甘んじて、あくまで過去の4人の党指導者達の業績を称え継承するという態度に徹した事である。

 歴史決議では、「全党はマルクス・レーニン主義、毛沢東思想、鄧小平理論、『三つの代表』重要思想、科学的発展観を堅持し、習近平の新時代の中国の特色ある社会主義思想を全面的に貫徹し、マルクス主義の立場、観点、方法で時代を観察し、時代をつかんでリードし、共産党の執政の法則、社会主義の建設の法則、人類社会の発展の法則に対する認識を絶えず深めなければならない」と謳われている。

 今回の歴史決議においては、江沢民が2000年2月に発表した「三つの代表」論を「重要思想」と位置付け、さらに胡錦濤が2003年7月に提唱した「科学的発展観」をも継承する事を明言している。

 江沢民が唱えた「三つの代表」とは、中国共産党が、「中国の先進的な社会生産力の発展の要求」「中国の先進的文化の前進の方向」「中国の最も広範な人民の根本的利益」の三つを代表する、という事であり、2002年11月の中国共産党第16回大会において、マルクス・レーニン主義、毛沢東思想、鄧小平理論と共に党の「重要思想」と位置付けられ、党規約にも明記された。

 また胡錦濤が唱えた「科学的発展観」とは、経済・社会・政治・文化等にわたる「持続可能な発展」観で、2007年10月の中国共産党第17回全国代表大会において党の「主要方針」として党規約に明記され、更に2012年11月の第18回中国共産党大会では党の「行動指針」へと格上げされて、マルクス・レーニン主義、毛沢東思想、鄧小平理論、「3つの代表」と並ぶ党の理念として位置付けられた。

 このように、今回の歴史決議は、江沢民や胡錦涛の理念を否定することなく、むしろそれらを評価し継承してゆく事を表明したものであった。



西側世界に向けた闘争宣言としての「歴史決議」


「歴史決議」がかつての2回のように「権力闘争の勝利宣言」でないのであれば、わざわざ歴史決議をする必要など無かったのではないか、という見方もある。

 それでは、今回の「歴史決議」は一体誰に向けて発せられたのだろうか?

 習近平の「歴史決議」は、これまでの2つの歴史決議とは根本的に異なる。

 毛沢東、鄧小平の歴史決議は、いずれも党内の路線闘争および権力闘争に関する決議であった。

 しかしながら今回の歴史決議は、党内や国内に向けたものというよりは、むしろ世界や国際社会に向けた宣言がその本質である。

 現在の中国は、西側世界と対峙する闘争段階であるが故に、「歴史決議」にも党内対立の色彩は無く、挙国一致、挙党体制で事に当たろうとする姿勢が見られる。

 そうした事が明確に示されているのが、習近平政権の業績として謳われている「歴史決議」の以下の部分である。

「外交面の活動においては、中国の特色ある大国外交が全面的に推進され、人類運命共同体の構築が時代の潮流と人類の前進方向を導く鮮明な旗印となり、我が国の外交が世界の大きな変動の中で新局面を切り開き、世界の混乱した局面の中で危機を機会に変え、我が国の国際的影響力・感化力・形成力は顕著に高まった。中国共産党と中国人民は勇ましい不屈の奮闘をもって、「中華民族が『立ち上がることから豊かになる』ことから、『強くなる』ことへの偉大な飛躍を成し遂げた」と、世界に向けて厳かに宣言した」

「党の100年の奮闘は世界の歴史に深い影響を与え、党の指導で人民は中国式の現代化の道を成功裏に歩み、人類文明の新形態を創造し、発展途上国の現代化に向かう道を切り開いた」

 習近平の唱える「人類運命共同体」とは、一帯一路の世界版を意味しており、中国によって統治される世界と同義である。

 そして「歴史決議」では、中国がそうした世界の構築に向かって今後邁進する事を宣言している。

 さらに発展途上国に向けては、「中国を見習って後に続け」と呼び掛けているのである。

 このように今回の「歴史決議」は、明らかに西側世界に向けて発せられた闘争宣言であった。

 最早習近平にとっては、国内や党内の旧敵対勢力などは既に眼中に無く、今や挙国一致体制を以て、国際社会と戦略的に対峙する闘争段階に入ったのが現在の中国である。

 これは、毛沢東が目指した世界階級闘争の復活である。

 習近平統治下の強大な中国が、欧米の腐敗した資本主義や、貧富格差・分断社会といった矛盾を抱える西側世界との闘争を通じて、「中国の成功モデル」を今後の世界が歩むべき理想的な「選択肢」として提示しようとしているのである。

 今や世界では、西側資本主義や西側民主主義に限界を感じる風潮が蔓延している。

 現在の中国は、そのような世界において、西側に対抗し得る新時代の「世界が進むべき道」を示し、ゆくゆくは「中国の標準」を「世界標準」にしようとする長期戦略が見て取れる。

 半世紀前の米ソ冷戦時代には、東西両陣営が自らの体制の優位性を示そうとして、各分野において様々なアピール合戦を繰り広げていた。21世紀の米中新冷戦においても、再び同様の展開になりそうである。

 習近平の路線闘争が党内ではなく、米国など西側世界に向けられているとすれば、当然の事ながら「武力闘争」も選択肢に入っている事になる。

「戦略的対峙」から「全面的闘争」への移行は時間の問題である。

 そしてその矛先は、台湾や日本などの周辺国に向けられているであろう。



毛沢東路線を踏襲し世界革命を目指す習近平


 習近平は毛沢東崇拝者であり、毛沢東主義への回帰を図っている。

「腐敗撲滅」や「自力更生」をはじめとして、習近平が進めている政策の多くは、毛沢東路線を踏襲したものである。

 だが習近平が踏襲した毛沢東路線は、内政面だけに留まらない。

 毛沢東の最終目標は「世界革命」の実現であった。

 そのため、毛沢東が実践してきた外交は、各国における「革命」を目的とした外交であった。

 毛沢東の時代は、国際共産主義運動が世界各国で展開されており、中国共産党はアジア・アフリカ諸国を「半植民地国家」と定義し、これらの国々の人民革命を援助する「革命外交路線」をとり、武装闘争を支援した。

 とりわけ文化大革命期における中国外交はイデオロギー的要素が支配的になり、アジア・アフリカ諸国の武装闘争による革命を推進する「革命輸出」が主たる外交となった。

 当時の西側先進諸国においても、毛沢東が呼び掛ける「世界階級闘争」に共鳴する学生運動や労働運動が各国で巻き起こったが、中国からの資金援助があった事は確実である。

 毛沢東外交に貫かれていたのは「世界革命」の実現である。毛沢東の活躍していた時代は「戦争と革命の時代」であったが、21世紀の今後の世界もまた、再び歴史の再現となりそうである。

 毛沢東外交の大きな特長は、超大国との闘争において「第三世界」との連帯を図るという点であった。

 毛沢東は中華人民共和国の建国以来、「アメリカ帝国主義」を「主要な敵」として位置付け、第三世界との共闘による「反帝国主義統一戦線」を結成しようとした。

 毛沢東の外交戦略は、先ず「共通の理念」を示し、各国との関係強化を呼び掛けるというものであった。

 こうした毛沢東の外交手法は、現在の習近平の「一帯一路」戦略に明らかに踏襲されている。

 習近平は党総書記就任直後から、「中国の夢」を強調していたが、外交舞台においては、「中国の夢」は「世界の夢」にも通じるものがあると強調した。

「中国の成功モデル」を「世界標準」にしようとする習近平の野望は、就任当初からのものであった。

 また習近平は、2014年から「運命共同体」という言葉を頻繁に使うようになった。「一帯一路」の建設は、「運命共同体」の理念を体現したもので、沿線各国との政治上・経済上の一体化を示している。

 そして今や習近平は、「人類運命共同体」などという言葉を使うようになった。そこには、いよいよ人類全体を統治しようという習近平の野心が表れている。

 結論を言うと、2021年の「歴史決議」の本質は、毛沢東路線に基づく「世界革命宣言」であった。

 以上のように、中国という国は、決して「普通の国」だと思って付き合ってはならない国なのである。

 過去半世紀にわたり、日本も米国も対中外交を誤ってきた。

 私達は、二度と同じ過ちを繰り返してはならない。











《財団概要》

名称:
一般財団法人 人権財団

設立日
2015年 9月28日

理事長:
牧野 聖修
(まきの せいしゅう)




 定款(PDFファイル)




《連絡先

一般財団法人
人権財団本部
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