Top Page



 理事長プロフィール





FMラジオ番組
「まきの聖修の、出せ静岡の底力」













【追悼】 劉暁波氏の遺志の継承を


─ 中国民主化の実現に向けて ─


[2017.7.13]




PHOTO(C)
中国民主化に生命を賭した劉暁波氏



劉暁波氏の闘いの軌跡



 中国民主化運動の象徴であり、獄中においてノーベル平和賞を受賞した作家の劉暁波氏は、7月13日、遼寧省・瀋陽の病院において他界した(享年61歳)。

 刑務所で拘束中であった劉氏は、今年6月に肝臓ガンにより入院したが、末期症状で手術が出来ない状態であった為、劉氏はドイツかアメリカでの治療を要望し、7月8日に診察したドイツとアメリカの医師が「安全な移送は可能」と判断したにも拘らず、中国当局は出国を認めず、病状が悪化し死に至ったという。

 世界各国からは哀悼の声と共に、中国政府の対応について批判の声が上がっている。

 ノルウェーのノーベル賞選考委員会は、「落胆と深い悲しみを覚えた」と述べた上で、「中国政府は重い責任を負う」と中国政府に対する非難を表明した。

 また米国政府の報道官は、「トランプ大統領は深く悲しんでいる」という声明を発表し、ティラーソン国務長官は、軟禁状態におかれている妻の劉霞氏の出国を認めるよう求めた。

 劉氏の死因については、当局による謀殺の可能性もあるが、それを別にしても、服役者に対する扱いが人権無視の非人道的対応であった事は明らかである。

 追悼の意を込めて、ここで劉暁波氏の業績を振り返ってみよう。

 劉氏は1955年生まれで、吉林省・長春の出身であった。

 10代の頃は文化大革命の只中であり、家族とともに辺境の農村で過ごしたという。

 1982年に吉林大学文学部を卒業後、北京師範大学で文学修士号と文学博士号を取得し、その後は、ノルウェーやアメリカなどの大学から客員研究員として迎えられた。

 劉氏は1988年にオスロ大学の現代中国文学や芸術の講座に招かれ、その講義において、「文学は共産党の独裁に対抗するための道具でなければいけない」と語ったと言われる。

 その後、コロンビア大学の客員研究員になった劉氏は、1989年4月に北京・天安門広場で学生らの民主化運動が起こると、すぐさま帰国し、民主化運動に加わり、ハンガーストライキを先導した。

 同年6月4日、軍が市民や学生を武力弾圧した天安門事件に際しては、 劉氏は徹底した非暴力主義で抵抗した。

 劉氏は、天安門広場で武器を持っていた学生達を見つけては、彼等から武器を取り上げて壊すなどし、結果として天安門広場における銃撃戦は回避された。

 このように、ガンジーやキング牧師と同様、非暴力の原則を貫いた事が、ノーベル平和賞の選考においても評価されたものと見られる。

 その後、柴玲やウアルカイシなど天安門事件の民主化活動家の多くが国外亡命する中、劉氏は中国国内に留まり続けた。

 劉氏は天安門事件から2日後の6月6日に当局に拘束され、「反革命罪」で1年7カ月間を獄中で過ごすことになった。

 出所後も、劉氏は当局による監視下に置かれ、時には身柄を拘束されながらも、陰に陽に体制批判を続けた。また、天安門事件の犠牲者達の名誉回復を目指し活動していた。

 そうして2008年12月9日、「世界人権宣言」60周年に合わせて、劉暁波氏をはじめとする303名の有識者が実名により連名でインターネット上に公開したのが「零八憲章」である。

「零八憲章」とは、自由、人権、平等、共和、民主、憲政の基本理念と、それに基づく下記の「19の主張」から成る宣言文である。

1.憲法改正
2.三権分立
3.立法と民主化
4.司法の独立
5.公器公用
6.人権保障
7.公職選挙
8.都市と地方の平等
9.結社の自由
10.集会の自由
11.言論の自由
12.宗教の自由
13.公民教育
14.財産保護
15.税制改革
16.社会保障
17.環境保護
18.連邦共和制度
19.正義

 この「零八憲章」発表前日の12月8日、劉氏は当局に身柄を拘束された。

「零八憲章」は、インターネットを通じて拡散されたものの、当局による検閲が厳しく、最終的に集まった署名は1万人程度であった。

 実際のところ、中国国内で「零八憲章」を知っている人はほとんどいないと見られる。

「零八憲章」発表から半年後の2009年6月23日、 拘留中の劉氏は、「国家政権転覆扇動罪」の容疑で北京市公安局に正式に逮捕された

 そして同12月23日、劉氏は「私に敵はいない」として知られる陳述を獄中で書き上げた。

 劉氏はその中で次のように述べている。

「私の自由を奪った政権に言いたい。20年前にハンスト宣言で表明した『私に敵はいない、憎しみもない』という信念に変わりはない。私を監視し、逮捕し、尋問してきた警察、起訴した検察官、判決を下した裁判官はすべて私の敵ではない。監視や逮捕、起訴、判決は受け入れられないが、当局を代表して私を起訴した検察官の張栄革と潘雪晴も含め、あなた達の職業と人格を私は尊重する」

「私は期待する。私が中国で綿々と続いてきた『文字の獄』の最後の被害者になることを。表現の自由は人権の基礎で、人間性の根源で、真理の母だ。言論の自由を封殺するのは、人権を踏みにじり、人間性を窒息させ、真理を抑圧することだ」

 その2日後の12月25日、劉氏は国家政権転覆扇動罪により懲役11年の判決を言い渡された。



ノーベル平和賞受賞とその影響


 2010年、劉氏は「中国での基本的人権の確立のため長年にわたり非暴力の闘いを続けてきた」という理由でノーベル平和賞を受賞することになった。

 だが当時は獄中にあったため、劉氏自身は授賞式には出席できなかった。妻の劉霞さんも中国当局によって自宅に軟禁された。

 劉氏のノーベル平和賞授賞の報を受けて、2009年度のノーベル平和賞受賞者でもあるアメリカ合衆国のバラク・オバマ大統領は、「劉暁波氏は民主主義という万国共通の価値を平和的に推進する勇気あるスポークスマン」と評し、劉氏を釈放するよう中国当局に要請した。

 欧州連合のバローゾ欧州委員長は、「ノーベル賞委員会の決定は、個人的な犠牲を伴って自由と人権を追求するすべての人々を支持する強いメッセージだ」との声明を出した。

 また1989年度のノーベル平和賞受賞者でもあるダライ・ラマ14世は、「ふさわしい時に、ふさわしい人が選ばれた。劉氏の後ろには数千人の市民がおり、中国の変化に大きく寄与するだろう」との声明を発表した。

 劉氏にノーベル平和賞が授与されたのを機に、世界各地に分散して活動していた中国民主化活動家やチベット独立運動やウイグル独立運動の活動家達がオスロに集結し、横の連携を誓う「オスロの誓い」が公表されるなど、国際的人権運動は新たな局面に入っていった。

 これもある意味で、劉氏によってもたらされた遺産と言えるだろう。

 ちなみにノーベル平和賞の歴史の中で、当局によって拘束されて授賞式に参加できなかったのは、劉暁波氏で5人目となる。

 これまでには、ナチスに抵抗したドイツのジャーナリストのカール・オシエツキー氏、旧ソ連の反体制科学者のアンドレイ・サハロフ氏、ポーランドの自主管理労組「連帯」議長のレフ・ワレサ氏、ミャンマーの民主化指導者のアウン・サン・スー・チー氏が、いずれも獄中で受賞している。

 しかしながらこれらの人は、いずれもその後、体制が変わることによって自由の身になっている。

 唯一、劉暁波氏のみが、ノーベル平和賞を受賞しながら「獄中死」を遂げた悲劇の人物となった。

 劉暁波氏亡き後、私達はその遺志を受け継いで、人権弾圧の無い世界の実現に向けて尽力しなければならない。



真の中国民主化とは何か


 1989年6月4日の天安門事件以降、四半世紀にわたり党主導により推進された利権絡みの汚職政治によって、中国国内の貧富の格差は際限なく拡大し、少数の富裕層と大多数の貧困層とに中国国民は二極分化した。

 とりわけ格差矛盾は地方において顕著に現れた。

 慢性的に税収不足で財政難の地方政府は、農民を耕作地から強制的に退去させ、取り上げた土地の使用権を、地方政府と癒着した開発業者に売却することにより財政再建を図った。

 こうした中国版エンクロージャー政策により、土地から追い出された農民達は、都市部に流入し、農民工と呼ばれる低賃金労働者に転落した。

 経済成長期においては、これら低賃金の農民工達の犠牲の上に、輸出立国としての中国の大発展が成し遂げられた。

 にも拘らず、経済発展による恩恵は悉く少数の特権的富裕層が独占し、農民工達に還元されることは無かったのである。

 こうした経済的・社会的矛盾により、近年では中国国内において、年間に20万件もの暴動や騒乱が勃発する事態に至っている。

 1日に平均500件以上もの暴動が国内で発生している現状を鑑みれば、もはや中国は「内乱状態」にあると断ぜざるを得ない。

 悲惨な農民工や失業者の実情、当局による住民弾圧や民衆虐待の実態を見れば、むしろ必然的帰結とも言える。

 一方、北京政府は、国内の様々な矛盾を隠蔽するかのように、軍事的対外進出を図り、南シナ海への侵略をはじめ、戦略核兵器の本格配備等々、断末魔の叫びの如く覇権主義を前面に押し出し、全世界に脅威を与えつつある。まさにこれは、旧ソ連崩壊前の状況に酷似している。

 経済と財政が破綻している国家にとっての延命策は、国民を奴隷化しながら、国民の不満を外に向けさせる為に他国を侵略してゆく以外に無い。

 今日の中国がまさにこの状態なのである。

 かつてのソ連同様、国内矛盾を対外侵略を以て糊塗しようとする国家に残された道は滅亡のみである。

 このように、中国における「人権弾圧」と「覇権主義」とは、1枚のコインの表裏であり一体を成している。

 中国国内の人権弾圧を終わらせ、民主化を本当の意味で実現させる為には、同時に中国に対外的覇権主義を放棄させる事が必要不可欠である。

 「民主化」なくして「覇権主義の放棄」は無く、「覇権主義の放棄」なくして「民主化」はあり得ない。

 したがって、かつて共産中国によって併合されたチベット・新彊ウイグル・内モンゴル・香港の人々と、現在侵略の脅威に晒されている日本・台湾・ベトナム・フィリピン等々の周辺諸国の国民と、中国国内で民主化を目指す人々とは、共に連携して中国当局に対抗する事が可能である。





劉暁波氏の御冥福を心よりお祈り申し上げます。









































































































































































































































































































《財団概要》

名称:
一般財団法人 人権財団

設立日
2015年 9月28日

理事長:
牧野 聖修
(まきの せいしゅう)




 定款(PDFファイル)




《連絡先

一般財団法人
人権財団本部
〒100-0014
東京都千代田区永田町2-9-6
十全ビル 306号
TEL: 03-5501-3413


静岡事務所
〒420-0853
静岡市葵区追手町 1-19
天松追手町ビル2F
TEL: 054-205-6155
FAX: 054-205-6156